アカデミー賞発表を前に、「ミリオン・ダラー・ベイビー」を観てきた。うーん、はっきり言ってこれはコメントしづらい。この映画を語ろうとすると、どうしても本編の結末に絡んでしまうからだ。
ということで以下は多少のネタバレあります。日本ではまだ未公開だと思いますし、これから観ようと思っている人は以下はクリックしない方がいいかも。
で、感想なんだが、まず個人的にはあまり高い評価をしていない。ちょっと奥歯に物が挟まったようになるが、露骨なネタバレは出来るだけ避けて言及してみたい。
落ち目のボクシング・ジムのトレーナーと、貧しく家族にも恵まれない女性がボクシングで人生を謳歌し始めるのが、前半。そして後半はある悲劇をきっかけにストーリーは大きく転換し、主人公らは最後に重い決断を迫られるというのが、だいたいの流れ。この映画で説いているテーマは考えさせられるものだし、最後の結末はなからずしも主人公の判断を肯定しているわけではない。映画を使った一つの問題的提起としては良く出来ているし、実際アメリカの映画評論サイトの書き込みなどを見ると、この映画に対するたくさんの反応、議論が見られる。
では、なぜ私がこの映画を必ずしも好きでないかというと、(もちろん出来れば映画のストーリーにわずかでも救いを見たいというのもあるが、)多分これは映画の編集の仕方によるところが大きい。最後の主人公の決断に感情移入しきれないのだ。ロッキーのような成功物語が全体の2/3程度を占め、その後悲劇へと映る。ボクシングを始めるまでは何もない人生を送っていたようなヒラリー・スワンク扮する女性が、一度本当に充実した人生を得られたことを強調するためにこのような構成をとったのだろうが、後半の部分の展開がいささか短時間過ぎて、最後の決断への苦しみが十分伝わってこなかったのだ。(一つには私の英語ヒアリング能力が十分でないため、ポイントポイントとなる発言を100%は理解出来てなかったことによるかもしれないが・・・)
もう一つには主人公らがカソリックであるということがこのテーマを重くしているのだが、ここは信心深くない日本人の悲しいとこ。クリント・イーストウッド扮するトレーナは娘と絶縁状態にあり、毎週教会に通っているのだが、若い神父は通り一遍のことを言うだけで彼の苦悩に真っ向から立ち会ってはくれない。人生の一番苦しい局面で今のカソリックが本当の救いをもたらすのかという疑問が投げかけられているのだろうが、アメリカ人のカソリックの人間ほど真摯には受け止められなかったというのもあるのかも。
で、自分としては、最後の決断を十分受け止めて議論したいと思うほどは、話の流れが良くなかったように感じたのだけど、アメリカのマスコミや各種の映画評では、この映画は判で押したように、どこも特Aの高い評価。普通よほど良く出来た映画でも、どこかしらに「つまらない」とか「いい映画だが歴史に残るほどではない」とかひねくれた評価を下すところが2,3はあるものなのだが、逆にどこもA評価ばかりというのが、ちょっと気持ち悪い。
で、で、少し考えたのだけど、この映画に感情移入できるかは、主人公らの背景を身近なものとしてすんなり受け入れられるかという部分が、自分と一般的なアメリカ人とで違うのかなということだ。ヒラリー扮する女性はトラクターハウス育ちで家族からの愛情にも全く恵まれてない。ボクシングを本格的に始めるまでは30才過ぎまでウェイトレスの仕事で小銭を稼いでいるだけ、趣味も本を読む教養もなく、親しい友人もいない。貧しい生活でTVも娯楽も何も無い。きつい言い方をすればほんとに何もない人生なのだ。だからこそ一度ボクシングを通して手に入れた喜びが、その手から零れ落ちることで後半の悲劇性が強まるわけだが、たぶん自分は恵まれた生活をしてこれたのか、ここまで何もない人生っていうのが、ちょっと現実的に想像できない。けど、ひょっとしたらアメリカでは現実問題として、嗚呼ここまでじゃなくても実際に似たような人っているいる、って感じてるのかも。アメリカってある意味、生活の最低限のものは日本よりも安く手に入るんだけど、それでなんとか暮らしていけちゃうから貧しいままっていう層が存在するんだよね。教育もほとんど受けてなかったり。
そういう背景も考えるとこれはアメリカだからこそ評価される映画なのかもしれない。そういえばクリント・イーストウッドの映画ってどれもアメリカ的でヨーロッパ受けとかしそうもないのが多いかも。
# 今朝の体重 70.0kg。
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