先日あげた「ネット世代のビジネスモデルとは?」。
トラックバックをいただいている部分への返答も含め、前回舌足らずだった部分を補いたい。
企業の「儲け」とか「利益」という言葉を使ってしまうと、そこに対する反感を持ってしまう方もいたかと思うが、私が問いとして投げたかった部分は「どうやったら食べていけますか?そのこともきちんと考えよう」ということ。(自分自身がその周辺に携わっている技術者として生活していることも含めて)
ITビジネスに関するコラムなどでは、まず米国では2000年にITバブルが崩壊して・・・みたいなくだりを目によくするのだが、IT業界は結局この失敗から何を学び取れたのか?この疑問に対する優れた見解になかなかお目にかかることがない。先に題材としてとりあげたCNET JAPANの梅田さんの以前の別の記事では
(引用)今日に至る5年半というのは、IT産業全体で見れば「まもなくバブルがはじけて、冬の時代に入り、今もそこから抜け出せない」という期間
とあるが、今も抜け出せない要因の一つが、梅田さんのいうところの「ネットを、生活の場」とする新しい環境の中で有効なビジネスモデルが確立できていないからなのではと思っている。
これに対し、既にご意見をいただいているように、「方法論は既にある」という方もいると思うので、具体例をいくつか出して考察してみたい。
1)優れた技術そのものに対価を求めるのではなく、その知名度、人気から広告収入などで食べていく。
これは先に出したGoogleの例でわかる。しかし広告で運営できるTV局の数が限られているように、この手法で食べていける連中の数はあまり多くはないだろう。またGoogleのAdwordのように、彼らの技術にのっかるスポンサーを彼らでコントロールできる手法であればよいが、そうではなく少数の限られたスポンサーしか得られない場合には、自分たちがつくりたい技術や思想の方向をスポンサーの意向により制限されてしまうという問題がある。
また、ちょっと別の考え方として「広告」という形ではなくても、「面白い技術であれば、誰かしらお金を出してくれるもの」としてパトロン探しや、株式上場により株主を公募するというやり方がある。しかし、これも多くのIT関連企業の主流のビジネスモデルとなるのは無理があるだろう。まず、パトロン的な支援を期待するのであれば、広告以上にパイは少ない。中世のパトロンに支えられて生活できた音楽家の数がごくわずかであるように、今日のIT技術者人口をただ養ってもらえるほどの余剰な資産が世の中に存在しているとは思えない。また自らのビジネスモデルを持たずして、株式上場でとりあえず資産確保に走るなどというやり方は、CNETの渡辺さんの記事やChika Watanabeさんの記事を持ち出すまでもなく、一時のバブルでしかないだろう。
(話がたいぶそれるが、かなり以前、Chika Watanabeさんの「資本主義は気持ち悪い」のエントリに対して、私のトラックバックで抱いてた違和感は、こうしたNanosys Inc.の上場みたいな話がアメリカで加速していくのではないかという部分に対する気持ちです。(これは私が勝手に抱いた感想でChika Watanabeさんのエントリで述べたかった真意とは無関係であるだろうことをお断りしておきます) 先日の「日本は復活するか?」というエントリでの資本主義の競争に対する考え方には素直に共感。先日の私のエントリした「CD輸入規制法案可決」みたいな話も 結局国際競争を避けようと国が保護しているに過ぎない。それでその業界が駄目になろうと知ったことではないが、あおりでユーザーが欲しいものが手に入らなくなるのは困る・・・たいぶ話がそれました)
2)ソフトや情報の配信に関しては、有料会員制などの手法をとり、情報発信を制限して、価値を維持する。
インターネットの商用化が始まったと同時に多くの企業がまずこの手法を考えたはず。ただ、一ユーザーとして、ネットに氾濫する情報を見る限り、この手法自体で利益を得ることが出来ている企業はあまりないのではないか?(具体的なデータを知らず漠然と思っているだけなので、間違いがあればご指摘下さい) またWinnyをはじめとするP2P技術の発達により、一度配布した情報を制御することはどんどん難しくなっている。一般受けするものでなく限定的に求められる情報ならいけると考える向きもあるが、私は逆にニッチな情報ほどアンダーグランドで無料で流通しやすい気がする。ユーザー側に「情報はネットではただで流通する」という意識が定着しつつある現在、この方法論はどんどん難しくなっている。
3)あくまでパッケージ商品としてソフトなどを売る。
AdobeのPhotoshopのように本当に皆が欲しがるアプリケーションであればパッケージ商品としても十分やっていけるという考え方。しかしこれも完成度の高いフリーウェアの登場や、ネットでのコンテンツ流通でだんだん難しくなっている。また特定の業種にのみ受けるニッチなアプリケーションなら当分この方法論は有効だろうが、誰もが欲しがるソフトはマイクロソフトが壁になりやすい。OSを支配されている限り、そのOSに付随するアプリケーションとして開発され抱き合わせにされると、他のパッケージ商品は弱い。とかくPCのエンドユーザーは有料のソフトに対する抵抗感が強い。
また、梅田さんのいう「ネットを生活の場」とした新しいアプリケーションで既成のマイクロソフトOSの概念を覆せないかという希望はあるだろう。ただ、これもビジネスとして考えるとかなり難しいものがある。Napster以降のP2Pソフト,Googleなど過去にネットを活用したアプリケーションは多くのユーザーに無料で利用してもらってその技術の改善を推し進めてきているものが多いからだ。エンドユーザーにとって魅力的な世界は開けるかもしれないが、開発者がそのことで食べていけるかは別問題。
4)コンシューマを対象とするのではなく、企業、法人向けに、社内ネットワークやデータベースの管理、サービス、業務支援パッケージなどを商品とする。
おそらく現実には多くのIT企業のビジネスはこれによってなりたっているケースがほとんどだろう。日本でSEと呼ばれる人たちのほとんどがこの仕事に従事しているのではないだろうか。ただ、この分野は一般ユーザーやコンシューマの立場からは非常に何が起きているのか見えにくい。例えばOracleというデータベースの超一流企業があるが、彼らがどんな企業なのか、組織でIT管理に携わった経験があるものなら誰でも知っているが、一般消費者はほとんど知らないのではないか?
アプリケーションやシステムの開発においてネットの可能性に期待するとするなら、より多くの人の協力が望ましいだろう。ネットの中から出てきた知恵を次のシステムに反映させるためには、技術の中身や方向性がより多くの人に見えやすい方が望ましい。こうした観点では企業向けパッケージというのはいささか特殊化された分野であることが難点。
また、これまでこの分野の仕事は各企業が業務ツールとしてITの導入期であったため、多くの需要を喚起していたが、すでにITツールの使用そのものが定着するにつれ、需要は当然減少してくる。パイは小さくなりつつある。
以上が、私のネットやITがらみのビジネスに対する具体的イメージ。この分野は技術面でも、ましてや経済については専門家でもなんでもないので、おかしな点もあると思う。何らかの形でご意見いただければ幸いです。
長くなったついでに、「技術やサービスを提供するものはビジネスモデルなど考えなくても良いのでは」という問いに対する私の見解。
1)だから梅田さんに期待している(笑)
個人的には経営コンサルタントといた職種の知り合いは持っていないのだが、ブログの良いところはそうした未知の領域の人とコンタクトを取れることもあることだと思っているので。まあ、梅田さん自身は全てのトラバやエントリに反応する暇はないだろうが、こうしてネットにあげておけば、誰かしか、その方面の専門家の意見を聞けるかもしれないし。
正直、ネットを中心とした新しい発想や新しいシステムの可能性ということには、自覚的であれ、無自覚であれ多くの人が既に気づいていると思う。ただ、この分野は従来の産業以上にビジネスとして成立させるのが難しい(方法論が見えにくい)と常々感じている。ネットの可能性を賛美する記事や評論は多数目にするのだが、ビジネスとしてさらに突っ込んだ提言を目にすることは少ない(単に私のアンテナがそっちに向いていないだけかもしれないが)ような気がするので、このようなエントリで希望を述べてみた。
2)技術者はほんとにビジネスを考えなくても今後やっていけるか?
私自身はハードウェアよりの、あえていうと物理屋に近い技術でいまのところ飯を食べているのだが、好きな技術だけに没頭して暮らしていけたらどんなに良いかとは、いつも夢見ている。
だが、一部の天才を除けば世の中そうは甘くないだろうということ。
Googleの創設者たちは、そんなビジネスのことなんか何も考えずにただ、ひたすら面白い技術を追求していたら、結果的に今の地位にたどりついたのかもしれない。いかしやはりそれは稀有な例だろう。
例えば、ある技術者がほんとに面白い技術を生み出したとする。ユーザーの立場にたってもとても面白いものだ。それを上司に伝える。上司は「面白いな。これで何が出来るか考えてみよう」。ところが待てど暮らせど、どう事業に関わってくるのか一向に見えない。さあ、どうすればいいだろう。上司は梅田さんのいう「PC世代」でその技術のほんとの素晴らしさや、世の中との関わり方が理解できない人かもしれない。当の技術者はビジネスへの有効なアプローチの仕方など何もわからない。でもこれを世に出したいという思いだけは強い。
アクション1.会社がやってくれないのなら個人の立場でネットなりで公表する。
技術者は「神」になれるかもしれない。だがそれでは飯は食べていけない。
アクション2.脱サラして、その技術で起業する。
技術者は経営のことは何もわからない。誰かその筋の専門家と組む必要がある。技術者はその人のマネージメント感覚が信用できるかどうか、どうやって判断出来るのだろうか。その経営の専門家は、起業しても長くは持たないだろうから、一山あてて一度金を得たらさっさとおさらばしようと考えているかもしれない。
アクション3.とにかく会社内を説得して廻る。
これをやるためにはおのずとビジネスの知識が必要になるのはあたりまえだろう。小さな企業であれば、何もわからなくても技術者のパーソナリティで「とにかく当たるはずだからやってみよう」と説得できるかもしれないが、代わりに失敗して会社倒産の憂き目にあうかもしれない。
馬鹿みたいなケーススタディであることを百も承知で書いているが、こうしたことに全く思いをよせない日本の技術者というのは結構多い気がしている。過去、ハードだけを売っていた時代(いい技術、面白い技術=価値ある製品)はそれでも通用したかもしれないが、ネットに関わるビジネスの有り様が見えにくくなっている昨今、技術者も「自分とはあまり関係ないから」という姿勢は良くないのでないかと感じている。
3)いまのままではパイはどんどん小さくなっていくという不安
ちょっと前まではSEといえば転職に有利、どこもSEを欲しがっていると転職情報誌はあおっていた。しかしこれは、上述のように、全ての職種において、業務ツールとしてITが導入され始めていた時期だったからこその需要でもあった。今後、単純に「プログラムが書ける」「ネットワークがわかる」というだけのスキルで食べていける人の数は減っていくだろう。ましてやグローバルな「オフショア」化の波で単なるITスキルなら、海外にもっと安い労働力はどんどん派生してきている。閉鎖的な日本でもこの影響は好くなからず受けるだろう。
自分たちの力でどうやって「食べていくか」を考えた場合、上述の広告や資本家の支援に頼るだけでは、この業界に従事する人口は多すぎる。芸術を趣味として好む人間は多くても芸術で飯を食べていける人間はほんの一握りだ。私はネットやIT技術に携わる人たちにおいても同様の環境が訪れてしまうことを恐れている。
技術者は少なくとも、「自分の技術がどう社会に関わりあい、それがどういう価値をもてるのか」という部分にもっと自覚的であるべきだろう。(一流のアーティストのように俺の技術はそれだけで十分飯を食べていけるというレベルの方には無関係な話ですが、はい)
# 疑問や注意喚起ばかりをぶつけていて、なんら回答を生み出せていないエントリで恥ずかしい限りですが、自分自身考え始めたきっかけとして、この文章を公開しておきます。
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